『幸せになる勇気』感想 

本日2度目。

Eテレの『100分de名著』の
『アドラー人生の意味の心理学』を観ました。
『嫌われる勇気』は読んでいたので、その復習になった感じ。
嫌われる勇気=幸せになる勇気であるということ、
誰かに嫌われているのは、あなたが自由に生きている証拠だ
という言葉が心に残った。

その後『幸せになる勇気』を読んだ。
『嫌われる勇気』の続編だが、前著に劣らず、
胸に響くものがあった。感想は続きに↓

前著から3年の月日が流れ、青年は教師になっていた。
哲人は「教育の問題も、人生の問題も、『愛』に集約されている」と言う。
そこからの二人の対話が、とてもドラマチックだった。

教育の目標は『自立』であり、教育する側の人間が
教育される側の人間を尊敬することから、全ては始まるという。
全くその通りだと思うのだけど、反対に考える人も多いのではないか。
「親を尊敬しろ」、「教師を尊敬しろ」と。
尊敬は強制されてするものではないと思う。

哲人がカウンセリングをするときに使う三角柱の話に、
一番ショックを受けたかもしれない(いい意味で)。
それは心を表していて、一面には『悪いあの人』、
もう一面には『かわいそうな私』と書いてある。
たいていの人の悩みごとは、この二つに終始するという。
そして、最後の一面に書いてあるのは、『これからどうするか』。
心をえぐられた気持ちがした。
『これからどうするか』というのは決心の問題だろう。

問題行動の目的も、非常に興味のある話題だった。
第1段階は、『称賛の欲求』。
ほめられることだけを目指して行動するというのは、
一見問題行動に見えないけれど、人の人生を生きてしまうことになる。
(私はこれをやってきたような気がする)
第2段階は『注目喚起』。
ほめられなくてもいいから、とにかく目立ってやろうということ。
無視されるより、叱られるほうがましだと考えてしまう。
(年少の者は今この状態にあるのかも)。
第3段階の『権力争い』、第4段階の『復讐』、第5段階の『無能の証明』に
入ってくると、かなり問題はこじれていくそうだ。

アドラーは叱るということを暴力として否定しており、
「これからどうするか」を自分で選ぶ手助けをすることが大事だという。
のみならず、ほめることは操作であり、競争原理を生むだけだと言っている。

「たとえ10歳の子どもであっても、自立することはできる。
50歳や60歳であっても、自立できていない人もいる。
自立とは、精神の問題なのです」
これにもガ~ンときた。

哲人が青年に突然、問題は教育のことではないと言う。
「他者を救うことによって、自らが救われようとしている」
「不幸を抱えた人間による救済は、自己満足を脱することがなく、
誰ひとりとして幸せにしません」
厳しい言葉だけど、本当だと思う。

また「自己中心的な人は、自分が好きなのではなく、
ありのままの自分を受け入れることができず、
絶え間なき不安にさらされているからこそ、自分にしか関心が向かない」
という言葉にもはっとした。

まず、自分から人を信じる、自分から人を愛することが
自立につながるとも言っている。
「自立とは自己中心性からの脱却」だと。
愛されるというライフスタイルは子どものもので、
大人になるということは愛するというライフスタイルに
変えるということなのかもしれない。
愛する勇気=幸せになる勇気なのか。

読み終わって、心に残ることが多かったが、疑問もあった。
どんな人のことも愛せるのか、尊敬できるのかということ。
もう少し考えてみようと思う。
アドラーは「人間が変わるのに、タイムリミットがあるか?」という質問に、
「寿命を迎える、その前日までだ」と答えたそうだ。
あきらめなくていい。希望が持てる言葉だと思った。